長胤寺について
日蓮宗 本勝山 長胤寺
長胤寺歴史
源頼朝に仕え、千葉氏中興の祖と言われた千葉介常胤公は、七人の男子を儲ける。
各々、千葉介新助胤正、相馬次郎師常、武石三郎胤盛、大須賀四郎胤 、国分五郎胤通、 東六郎胤頼、七男は出家し、日胤を名乗り、 三井寺にて、祈祷僧となる。
承安九年(1171)11月15日、三郎胤盛が現在の武石の地を伝領す。武石城の始まりである。
四世孫武石小二郎入道長胤公が、正元元年(1259)12 月10日長作の地を領す。弘長年中(1261〜63)自らの館を寺とする。長胤寺である。
上総七里法華弘通の師、日泰上人の法孫日傅上人により、天文14年(1545)日蓮門下に改宗。のち元禄14年(1701)東金最福寺の流れに属し寄席と稱す。
雨来法華経の信仰道場として連綿相続している。
長胤寺施設紹介
御本尊・日蓮聖人像
御本尊ならびに日蓮聖人座像は、亨保8年(1723年)10月8日、東金西福寺(最福寺)第17世日眼上人によって開眼されました。
薬師如来像
本堂左手には、薬師如来と当山開基武石小二郎長胤公、総檀信徒中先祖代々、四聖六道法界萬霊、当山歴代上人のお位牌が祀られています。
この薬師如来は地元の人から、眼病に効くと言われ信仰されています。
ご祈祷所
本堂右手には、北辰妙見大菩薩、大黒尊天、鬼子母神、旧暦一日より三十日まで守護する三十番神が左右に祀られています。
永代供養墓と歴代住職墓
墓地奥にある「永代供養墓」は、歴代住職の隣に位置し、歴代住職が見守る中、厳粛に住職が法要を営みます。
客殿
広々とした客殿から本堂に向かう階段をバリアフリー対応にしてありますので、安心してご利用いただけます。
釈迦涅槃図と日蓮聖人涅槃図
江戸時代中期に描かれた「釈迦涅槃図」と「日蓮聖人涅槃図」があります。
ペット墓地と馬頭観音
境内から少し離れた所にひっそりと佇むペット墓地。その前に動物の供養碑「馬頭観世音碑」が祀られています。